枝吉神陽

佐賀の藩校・弘道館の講師で、尊皇攘夷論者。

弘道館の中でも異彩を放ち、カリスマ性溢れる雰囲気とその人柄から生徒たちに大人気だが、幕府寄りで朱子学(尊王攘夷とは対の思想なため)重視の他の講師からは疎まれている。

江藤は彼から強い影響を受けている。副島二郎の実兄。

 

【略歴】

弘道館教師であった父・枝吉南濠の長男。

幼少期より神童として賞され、江戸の昌平坂にも進学し、舎長にもなっている。

父の影響で尊王攘夷論を強く唱え、かの吉田松陰にも影響を与えたとされる。

コレラに罹った妻を看病する最中自身も羅病し、病死。享年41。